マクナマラ元国務長官(アメリカ)の訃報に果たしてどれだけの人が「ベトナム戦争」を想起し得たのでしょうか。1975年はそんなに遠い、過去のことになってしまったのでしょうか。いや、忘れたい、のかもしれません。
そして、彼以前に亡くなった小田 実を忘れることはできません。「ベ平連」を知っている世代も年齢を重ね、苦い味と共に記憶の片隅に押し込めているのかもしれません。
時は、確実に過ぎゆくものなのですね。開高 健の「サイゴンの十字架」をまた引っ張り出して読むとしよう。
今回の衆院選における民主党の圧勝ぶりを見るにつけ、4年前の郵政民営化の熱は何だったのでしょう。地域間格差だけが着実に拡大し続けたツケを払うのは、都会に住む人々ではありません。地方の人々なのです。市場原理は万能ではないことを証明しつつも、かといって社会主義がイデオロギーとしてはあり得ても、現実社会では機能しない以上、新しい人間社会の在り方を考えねばなりませんね。
私はベトナムがどの様に成長してゆくものなのか、大変興味を持って眺めております。あまりの長きにわたる戦争にさえ、耐えて、耐えて、しのぎ、アメリカによる軍事介入という「ベトナム戦争」ですら、耐えきって、ついにアメリカに唯一の黒星をつけたベトナムが社会主義国として国民をどのように幸福にするのか。地域性、経済性、国民性、などなど世界における稀有な社会主義のモデルはどういうものか。教育は?文化は?
ベトナム語を解せず、話せない私には、偉そうなことは言えませんが、とにかく他の国には感じられない魅力がベトナムにはあるのです。
マラソンでベトナムへ行く機会はとっても貴重でスポーツからの切り口で長くベトナムをウォッチしてゆくつもりでいます。
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