【協賛】

■特集

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 第一回ベトナム国際マラソン(1992年)開催の経緯

1975年4月30日、米国の全面的支援を受けていた南ベトナム政権は北ベトナム軍進撃によるサイゴン陥落(現在のホーチミン市)により、南ベトナム政権は崩壊し、長年にわたったベトナム戦争は終結しました。その後、76年における「南北ベトナム統一選挙」後の76年7月、ベトナム社会主義共和国として南北統一が実現しました。

しかし、統一を果たしたものの、ベトナム戦争以前のフランスとの戦い、中越紛争等、長年の紛争が続き、国土は荒れはて貧困と窮乏の時代で、スポーツどころではありませんでした。しかし、世界の最貧国といわれ、生活環境は極めて厳しいながらも将来のベトナムスポーツ界発展のために種々の方策が講じられていました。各省、各市のスポーツ局主導による陸上競技大会は地方レベルにて熱心に行われていた他、1992年のバルセロナ・オリンピック参加は、ベトナムとして本格的にオリンピックへの参加の契機となりました。

92年のバルセロナ・オリンピックには、役員を入れてわずか10数名の中に男女1名ずつのマラソン選手の参加を決めたベトナム国際オリンピック委員会の決定は、男女とも国際レベルからは程遠いものでしたが、国際スポーツ交流の主舞台であるオリンピックへの本格的参加として国際的にも大いに評価されたものです。ベトナムが南北統一後、国際マラソンを開催したその経緯などとともにその歴史を記したいと思います。

1986年に政府決定がなされていた越政府のドイモイ(開放政策)が本格的に稼働を始めたのは1991年以降、この時期において速やかなる国際社会の仲間入りを望んでいたベトナム政府は、対外開放政策を内外に強くアピールするためのイベントとして国際的な陸上競技大会が国のイメージアップのためにはふさわしく、そのためにはマラソン大会が最もアピールするものとの考えにより、国際マラソン大会開催を決定しました。

この企画には香港のスポーツイベント会社が全面的に協力し、ベトナム政府関係機関とともに実施計画を作成することとなりました。これにはバンコクのスポーツイベント会社も協力しました。本大会のメインスポンサーは、当時、ベトナム進出を狙っていたフィリピンの大手ビール会社でした。また、協賛は、ホーチミン市で唯一の5ッ星ホテルであったフローティングホテル、スポーツメーカーのアディダス、ルフトハンザ航空等でした。

つづく


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