【協賛】

■特集

1 | 2 | 3 | NEXT

第1回大会(ホーチミン市:1992年2月16-17日)

ホーチミン市において「第1回ベトナム国際マラソン」が開催されました。フルマラソン、ハーフマラソン、10kmです。ベトナム政府は、この大会にはまだ国交断絶状態の米国選手の参加を認めることにし、国際大会ではボストンマラソン、NYマラソンその他で優勝経験のある米国のトップクラスの選手を招待するなど、他国を含めて数名の選手を招待しました。

この大会には世界から26カ国の参加がありましたが、特筆すべきことは、米国からの招待選手以外にも、ベトナム戦争開戦初期においてダナン上陸作戦等に参加経験のある元海兵隊隊員等ベトナム戦争に従軍した元米兵に対してもマラソン参加のための入国ビザを発給したことです。これは国際的にも大きな反響をよび、第1回大会は日本の複数の新聞、また、NHKでも取材され、日本国内でも報道されました。各国においても大きく報道されたと聞いています。本大会において、同年開催のバルセロナ・オリンピックに派遣するベトナム代表男女1名ずつの選考も予定されていました

本大会スタートはホーチミン市市役所庁舎前、ゴールはすぐ近くの統一会堂前(旧南ベトナム政権時代の大統領官邸)で、周辺の道路はすべて閉鎖されました。同市始まって以来初の国際マラソンのこと、コース沿道は大勢の応援の人達で興奮状態でした。コースは旧サイゴン時代の米国大使館、バー街など、ベトナム戦争を思い出させる建物が並ぶコースから国道1号線に入って市郊外を回るコース、まだ外交関係のない米国の元米兵たち大勢も走りぬけました。沿道には当時はまだ珍しいアオザイ姿の女子高校生がベトナム国旗を振って応援、この応援は市中心部では途絶えることはなく、日本から参加した選手では、えんえんと続く沿道の魅力的なアオザイ姿の応援に呼応して走ったため、体力消耗し途中棄権したのもこれが理由と笑い話のようなこともありました。

ホーチミン市で初めてのフルマラソンのこと、警備、道路整理は完ぺきではなく、完全閉鎖のはずのコースにバイク、車が入り、その排気ガスで気分が悪くなったという人も多く、また、復路において途中でコースを見失って、市場の雑踏の中に入ってしまった人、踏切遮断で待たされた選手、その他いろいろありました。しかし、全くゼロからスタートしたマラソン大会のこと全て万全ではなかったものの、開催前の危惧をよそに、開催はほぼ成功裡に終わったものと評価されたものです。開催数日前からハノイからはチャン文化情報スポーツ大臣以下同省幹部他大勢がホーチミン市に滞在、大会準備を指揮していたものです。もちろんマラソンスターターはチャン大臣でした。

ボストンマラソン等国際大会でも数回優勝している米国のビル・ロジャースさんはこの大会では2時間20分以内のトップでゴールは間違いないといわれていたのが(1979年にはボストンは2時間9分27秒で瀬古選手と最後まで競って優勝)、34度以上の高温と高湿度、また、交通規制が途中で収拾できなくなったことによるコース上に入り込んだバイク、車の排気ガスで体調が維持できなくなり後半は痙攣を起こして歩くというハプニングがあり、残念ながら優勝は逃がすことになりました(3時間7分52分)。

(男子)

1位 英 国   2時間43分23秒

2位 ベトナム  2時間44分52分(2位のフオン選手は同年のバルセロナ・オリンピックにベトナム代表として参加)

3位 フランス  2時間46分38秒

4位 ベトナム  2時間51分12秒

5位 ベトナム  2時間51分24秒

6位 ベトナム  2時間54分16秒

7位 ベトナム  2時間56分17秒

8位 ベトナム  2時間59分45秒

9位 マレーシア 3時間00分01秒

10位 ベトナム  3時間01分15秒

(女子

1位 ベトナム   3時間26分22秒1位のテオ選手は同年のバルセロナ・オリンピックにベトナム代表として参加)

2位 ベトナム   3時間28分43秒

3位 米国     3時間32分21秒

4位 英国

5位 米国

6位 米国

7位 米国

8位 米国

9位 中国

10位 ニュージーランド  

                                                          つづく


Copyright (C) 2009  Nha Trang Marathon Organizing Committee All rights reserved.